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最近の世の中の動き
Webカメラで“手話”のビデオチャット授業 2003年12月21日
Music of Deaf '04 Winter LIVE を聞いてきました 2004年1月24日

手話との出会い
今から20年ほど前、勤め先の職場に聴覚障害を持った40歳くらいの女性が、アルバイトで入ってきました。
トンサンは直接仕事の指示をすることはなかったのですが、そこのリーダーと筆談しているのを見て、筆談は意思の伝達に時間がかかって大変だなあと思いました。
また障害を持った人と身近に仕事をするのはこれが初めてでした。
アルバイトで来たその人が退社されたあとですが、労働組合主催の手話講習会が開かれ、関心があったので参加しました。
10回の講習会が終わりに近づいたとき、せっかく覚え始めたのにここでやめてしまうのは中途半端だなあと思っていました。
そんな時、聴覚障害を持った若い女性に横浜市手話通訳奉仕団「たつの会」へ連れて行かれました。

たつの会
たつの会は100名以上の大きな組織でした。
入りたくてもなかなか入れず、見学と言うことで参加させてもらい、1ヶ月以上たってやっと許可がでて会員になれたのでした。
たつの会は若い女性が多く、ここでお嫁さんが見つかったらなぁと不純な気持ちも持っていました。
残念ながらお嫁さんになってくれそうな人は見つかりませんでしたが、お巡りさん、看護婦、銀行員、公務員、学校の先生、保母さん、高校生、大学生、などいろんな仕事をしている人たちと知り合うことができたのでした。
年齢も10代から60代まで様々でした。
手話サークルほどいろいろな人が集まるサークルはないのではないかと思います。

(上の文章を手話で表すのは難しいですね。)

夏の合宿研修  輪になって歌を歌っているところかな。
たつの会には約3年いました。

町田市手話サークル
たつの会の入会から約1年遅れて町田市手話サークルにも入りました。
もっと手話を覚えたいと思ったからです。
たつの会は水曜日、こちらは金曜日なので都合が良かったのです。また町田は通勤途中なので寄り道するだけなのも好都合でした。
たつの会もそうでしたが、町田市手話サークルでも手話サークルが終わると何人かで近くの喫茶店に入り、聴覚障害者と楽しく世間話をしました。
聴覚障害者たちは結構横の繋がりが強く、僕の勤め先や他の市の聾者たちの名前を知っているのにびっくりしました。
サークルの勉強会よりも喫茶店で覚えた手話が実践で役に立ちます。
いや、むしろ手話を覚えると言うよりも、今まで会話ができなかった聾者と話すことができたことが嬉しいと言った感じです。


青柿
たつの会と町田市手話サークルに通っている間に、仕事の研修で約2ヶ月間大阪に行くことになりました。
この間手話ができないと忘れてしまいそうなので、枚方市の市役所に電話し、手話サークルの所在を確かめました。
すると青柿というサークルがあることを聞き、早速入会させてもらうことにしました。
青柿はこぢんまりしたサークルでしたが、活動が活発でみんな元気な人ばかりでした。
全国聾唖者大会が開かれたので参加したり、映画を見たり、ハイキングに行ったり、なんとそこの女性から紹介されてお見合いまでしました。

嵐山へみんなでハイキング
20年近くたった今でも写真を見ていると一人一人の笑顔が浮かんできます。
このとき手話にも方言があることを知りました。

あゆの会
あゆの会は1997年10月に入れてもらいました。
たつの会や町田市手話サークルに通わなくなって15年位経ち、新しくできた手話がわからないことと、会社で手話講習会があり、社内で使っている手話を「社内用語」として教えようと言うことになり、改めて覚え直そうと思い入れてもらったわけです。

1997年12月 あゆの会創立20周年記念大会で 中央は記念講演をしていただいた、NHK「みんなの手話」で有名な石原茂樹氏。